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大江健三郎メッセージ和訳

桜と由紀夫
去年の桜の時期の由紀夫。


先日、情報を流した、ニューヨーカー紙に載った大江健三郎の文章の和訳が届きましたので、引用します。
大江健三郎。
「日本の理性」ではないでしょうか。
ノーベル文学賞受賞者、
そして、井上ひさし、加藤周一らと共に「九条の会」の発起人の一人です。
ちなみに、私が尊敬する小森陽一氏(日本文学者)も九条の会。

「原子炉を建設することで人の命を軽視して過ちを繰り返すのは、広島の犠牲者の記憶に対する、これ以上ないほど酷い裏切り行為である。」

という文に、グサッときます。

こんな時に、「原発推進の方針は変えない」と言ったオバマ。
がっかりだねぇ。
こんな男だとは知らなかったって感じ。


歴史は繰り返す     大江 健三郎 

(出典 THE NEW YORKER 3月28 2011) 和訳責任者 山本若子

偶然にも私は地震の前日、数日後の朝日新聞の朝刊に掲載された記事を書いていた。その記事は1954年のビキニ環礁における水爆実験で被爆した、私と同世代の漁師に関する記事だった。私が初めて彼のことを聞いたのは私が19歳の時で、後に彼は核抑止力神話とそれを支持する人々の高慢さを非難することに彼の生涯を捧げた。あの大惨事の間際にその漁師を思い起こすことになったのは一種の虫の知らせだったのだろうか。彼はまた原子力発電所とそれがもたらす危険性とも闘った。私は日本の近代史を3つのグループの人々の目を通して見るという考えに熟慮を重ねて来た。広島や長崎への爆撃で亡くなった人々、ビキニ環礁の水爆実験で被爆した人々、そして核施設の事故で犠牲になった人々である。これらの話を通して日本の歴史考えると、悲劇は分かりきっている。今日、私たちは原子炉の危険性が現実になったのを確信することができる。次々に明らかになる惨劇がどの様に終わろうとも、それを阻止しようと展開する人々の努力に敬意を表するが、この災害の深刻さはこれっぽっちも不明瞭ではない。日本の歴史は新たな局面に入った。そしていま一度、我々は原子力の犠牲になった人々の視点から、苦しみながらも勇気を示してきた男性たちや女性たちの視点から、物事を見なければならない。現在の震災から何を学ぶかは、この震災を生き延びる人々が過ちを繰り返さないと決意するかどうかにかかっているのだ。

 この震災は、劇的な方法で2つの事象を結びつけている。日本の地震に対する脆弱性と、
核エネルギーによる危険性に対する脆弱性である。前者はこの国が太古の昔から直面してこなければならなかった現実である。後者は、地震や津波によりもさらに壊滅的であることがあきらかになるであろう、人間の仕事である。日本は広島の悲劇から何を学んだのか?2008年に亡くなった現代の日本の偉大な思想家の一人、加藤周一は、原子爆弾と原子炉について、千年前に清少納言という女性によって書かれた「枕草子」の一節を引き、「とても遠くにあるように見えるものも、実際にはとても近い」ものだと言っている。核の悲劇も、遠く非現実的な仮説に見えるかもしれない。しかしながらその可能性は常に我々の身近にある。日本人は核エネルギーを
工業的な生産性という意味において考えるべきではない。広島の悲劇から経済成長の「レシピ」など引き出すべきではない。地震、津波、そしてその他の自然災害のように、広島の経験は人類の記憶に深く刻まれるべきである。人の手で生み出されたからこそ自然災害よりもはるかに悲劇的なのである。原子炉を建設することで人の命を軽視して過ちを繰り返すのは、広島の犠牲者の記憶に対する、これ以上ないほど酷い裏切り行為である。

 日本が戦争に負けた時私は10歳だった。その翌年新しい憲法が公布された。その後何年にもわたって、私は我々の憲法に明記された、戦力の不保持や後の非核三原則(もたず・作らず・持ち込ませず)を含む平和主義が、戦後日本の基本的な理念の正しい表象たり得ているかを自問し続けてきた。日本は次第に再軍備をし、1960年代の密約でアメリカ合衆国が列島に核兵器を持ち込むことが可能になったため、あいにく非核三原則は無意味になってしまったが、戦後の人間の尊厳の理念は完全に忘れられたわけではない。亡くなった人々は我々がそうした理念を尊重するように目を光らせているし、亡くなった人々の記憶は我々が政治的現実主義の名のもとで核兵器の破滅的な性質を過小評価するのを妨げている。我々は対立している。その中に現在の日本の曖昧さがある。この国はアメリカの核の傘に守られて避難している平和主義者国家なのだ。この国は福島原発の事故で、日本人が再度、広島や長崎の犠牲者と連帯し、核の危険性を認識して、核の賛成派が提唱する核抑止力の効率性の幻想を払拭することが望んでいる。

 一般的に成熟したと見なされる年齢に私が至った時、『我らの狂気を生き延びる道を教えよ』という小説を書いた。いま晩年に差し掛かり、私は『最後の小説』を書いている。私がこの狂気を何とか生き延びることができれば、その本の冒頭でダンテの『神曲』の最後の一節、「そして我々はもう一度星々を見るために外に出た」を引くつもりである。



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COMMENTS

No title

ほんとに・・「日本はどうなるの?」と思う事が何度もあります。
今夜、ニュース番組を観てて、腹立たしかったのが東電の体質。
2006年頃、福島原発の津波対策の甘さを、市民団体に指摘されていたというではないですか!!
そのうえ、その申し入れを無視。
「大人がすべき議論ではない」と、相手にしなかったと放送内容にありました。

市民団体の代表らしき男性は、「今回のような大津波は想定外」と繰り返す東電に対し、
「あの時、聞く耳をもっていてくれたら・・・」と。
原子力安全委員の男性が、「今回の事故は人災と言われてもしょうがない」と。

素人の私からしても、「本当の安全は、想定外の事態をまでフォローできてこそ!」
現代の私達の生活は電気・エネルギーがなくては不自由極まりないもの。
でも、危険に寄り添った自由なんて要らない。

私は正直、原発の必要性について・・yes、noの答えがハッキリ出ていませんでした。
でも、まさか・・天下の東電が・・・こんなに危機感のない企業だったなんて。

新しい幼稚園での由紀夫の写真に癒され、今日は寝ます。。。
ほんとに由紀夫は癒し犬。
テレビでレスキュー犬を観る度、「由紀夫がレスキュー犬だったら・・捜索だけじゃなく、被災した人達の心も癒してくれるのになぁ」と思うダリヤでした。

げげげ~。

そんなニュースがあったんですね。情報ありがとうございます。
「大人がすべき議論」って、
他人の危険より、自分の金を優先すべき議論ってことでしょうね。

今日入ったメーリングリスト情報では、東電会長は地震当時、
大手マスコミ幹部と中国旅行中だったそうですよ。
もちろん、経費は全て東電持ち。
マスコミが東電に不都合な情報を流さない構図が、
これで、改めてバレバレ。

ダリヤさん!
今の気持ちを強く持ち続けてください。

ついでに、由紀夫のことも宜しくお願いします。
あの男は、外面だけの男です。
今も、自分の部屋でグゴゴゴゴ~と寝ています。
トホホホホ。

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Re: お願い

ご連絡ありがとうございます。
出典・和訳責任者の明記をしていただければ、OKです。
こちらこそ、宜しくお願いいたします。

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