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あの淳一を、一刻も早く硫黄島に流せッ!の巻

CIMG1790.jpg今日は、二時間も散歩してしまった由紀夫。でも、痩せないよね。



〈お断り〉
昨日、映画『武士の一分』を話題にしたので、関連した過去のPink Tea Timeを載せてみました。ブログに掲載する順序が狂いますが、ご了承下さい。

Pink Tea Time 2007年2月号

あの淳一を、一刻も早く硫黄島に流せッ!の巻

2月6日 
『愛の流刑地』。
 豊川悦司様のヌードで話題の、日本映画である。その過激なテーマと濡れ場の激しさゆえ、主演女優がなかなか決まらなかったらしい。大物女優に次々断られ、制作会社は著しく困ったそうだ。
 しかし、どうしたことか私には、出演依頼の連絡がなかった。豊川様の相手役なら、二つ返事でホイホイと承諾する用意が24時間整っているが、一体どうしたことであろうか。
 まあそれはそれであるが、『愛ルケ』は豊川様の素晴らしさは別にして、その内容たるや極めて悲惨。全く許しがたいものであった。一体こんなくだらない話を映画にしてもいいものなのか。
 あまりのくだらなさに私は「かっ!」となり、原作を読んだ。勿論買ったのではない。あんな駄作に金を払うのは良心が許さないので、図書館から借りてやったのである。借りてみたら、なんと分厚い単行本で上下二冊もある。超一流の駄作に、こんなに大量の紙と空間を使わせていいのか。しかも、この図書館だって、庶民の血税を使って購入したのだと後で気づいた。資源と税金の、なんという無駄遣いだろうと、私は再び「かっ」となった。
 そして私は読み進むうち、なお一層憤激したのであった…。

2月7日
 まず第一に、誰か今すぐあのエロじじいを愛の流刑地に流してくれということである。
原作者、渡辺淳一。
 この男、今年で七四歳になるそうだが、一向に衰える様子がない。そればかりか、年々歳々傍若無人となり、色欲を増しているようだ。一体、何を食っているのであろうか。
 そして世間もその見苦しい作品の暴走を誰一人止めることをせず、それどころか、最近は淳一の「公式ブログ」などを開設させて、ますます図に乗っていく状況を看過しているのである。
 中国の聖人孔子はその昔、「七十にして心の欲するところに従いて、矩(のり)(規範)を越えず」と言った。つまり、「七十になったら自分のしたい放題に振る舞っても、人の道を踏み外さなくなった」ということである。しかしこの渡辺淳一は、とうの昔に七十を過ぎているのに、色欲の欲するところに従って違法な話を繰り返している。この違いは、一体どこからくるのであろうか。
 最初に驚愕したのが、小説『愛の流刑地』は日本経済新聞に一年三ヶ月連載された小説だったという点である。私は新聞事情に詳しくはないが、日経は日本の経済界をリードする新聞であろう。そのような権威ある新聞が、なぜこんなじじいのエロ話を、毎日毎日堂々と一年三ヶ月の長きにわたり、掲載していたのであろうか。その無神経さと厚顔に義憤を感じるのである。
 日本の一般週刊誌も確かに酷い。殆どの週刊誌で、毎週必ず女の裸を包み隠さずべろりと載せるのが規則となっている。ポルノ小説や下ネタ欄も必ずあり、こういう習慣が日経の『愛ルケ』連載の温床であろう。
 しかしどうしてこう、男という生き物は愚かで無節操なのか。女の裸が毎週載っていなければ、購買意欲が落ちるのはなぜかということである。

2月8日
 次に驚愕したのが、主人公・村尾菊治の幼稚さである。
 五五歳の売れない作家。三十代でちやほやされ、今は忘れられた作家という設定だが、これほど精神年齢が幼稚では、若い時期しか売れなかったのも当然だろう。あるいはそこまで想定しての人物設定だったのか。
 それにしても酷い。例えば「嫌いな夫との間に、なぜ子供が三人もいるのか」と何度も疑問に思う菊治。「愛の饗宴(と菊治は言っている)」前の食事で、「精が付くから」と冬香に白子焼きを勧める菊治。メールにハートマークを三つも付けて送信し、満足する菊治…。
 こんな小学生レベルの男の話を、経済界の男どもが毎日楽しみにしていたのかと思うと、私は驚き呆れるのである。
 一番の驚きは「愛がなければ子供は三人も生まれるはずがない」と菊治が思っているということである。この男は学校で必履修の保健体育を履修していないと思われる。
 次に仰天するのが、「自分は特別な男」という自惚れである。そして特別な男だから何をやっても許されるという錯覚である。
「『失楽園』でもそうだったけどさぁ、他の男ではエクスタシーを感じなかった女に、おれは感じさせてやれるんだっていうパターン。自分は特別だって言いたいわけよ。でも、それが何なわけ?」
 と友人Mちゃんも憤慨していた。
 菊治は留置場でも「あの女検事は、エクスタシーを知らないから何もわからないんだ」と激怒していていたよな。つまり菊治の頭にはソレしかないのである。
 そして最も不愉快なのが、菊治を図に乗らせる“都合のいい女”しか、物語に登場しないという点である。要するにこの話はエロじじいの好色な妄想の繰り返しに過ぎないのだが、それを大々的に映画化し、全国一斉ロードショーにかけるとは、一体何事なのか。

2月9日
 実は同じ日、映画『武士の一分』でも私は憤激したのである。 
 この映画のテレビCMでは「二人の深い愛に感動しましたぁ!」とか「私もあんなに深く愛されてみたいですぅ」とか、試写会を見た若い女が泣きながら語っていたよな。しかし、もし熟年層の女性に感想を聞いていたとしたら、違う感想が出てきたはずだ。この『武士の一分』も、とんでもない男の横暴映画ではないのか。
 何が横暴かと言って、三村新之丞(木村拓哉)が妻・加代を離縁するところだ。夫の名誉と仕事の為に身を挺したのに、加代は殴られ、新之丞は「武士の一分が立ちましねぇ」とかほざいて見放す。これのどこが「深い愛」なのか、感動の涙を流したおまえら言ってみろっ!ということである。本当にこの映画も、男の見栄と欲望の物語であった。まあ、武士社会の基本は「男の見栄と欲望」に尽きると言えば言えるのだが。
 この『武士…』と『愛ルケ』を同じ日に見た私は、その男映画の横暴さに大変不愉快になった。それに比べて『硫黄島からの手紙』と『父親たちの星条旗』を作ったクリント・イーストウッド…。本当に素晴らしい。
 イーストウッドは渡辺淳一と三歳しか違わないから、今年七十七歳であるが、同じ七十代でも雲泥の違いがある。
 あの淳一を一刻も早く硫黄島に流せ! それが今の私の願いである。


 
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COMMENTS

ごもっとも!

「愛ルケ」・・世の中の噂を聞いただけで、ゲロった気分になりいまだに読んでいませんが、やっぱり妹子さんがそんなに腹が立つほどのことだったのね。
淳一も昔はすがすがしい小説を書いていたこともあるんだけど、なんでそっちの方にばかり向いちゃったんだか?

食べ物のせいではないでしょうか。

淳一、肉を食い過ぎた結果ではないか? と、私は想像しております。
根拠は、全くありません。

醜く年を取りたくないものですね。
はい。

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